鉄道の登場 1872年(明治(めいじ)5)〜

1872年(明治5)に,今の新橋〔東京都〕と横浜〔神奈川県〕の間に,日本ではじめての鉄道が開通しました。今からおよそ130年前のことです。近代的な交通機関の開通は,まさに文明開化(ぶんめいかいか)の象徴(しょうちょう)でした。蒸気機関車(じょうききかんしゃ)は,新橋駅・横浜駅〔今の桜木町駅〕間を1日で6往復しました。当時の人が歩くと1日かかる距離(きょり)を蒸気機関車はおよそ53分で走りました〔今の電車は,21分で新橋・横浜間を走ります〕。新橋は政府(せいふ)がある首都・東京に近く,横浜は外国からの船が着く横浜港が近くにあります。

蒸気機関車を見物する人たち(想像図)
人々は,この新しい乗り物をひと目見ようと,前の日からお弁当をもって,線路のまわりに集まったほどでした。はじめて見る蒸気機関車の大きさやはげしい音に,人々はおどろきました。
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政府は,横浜との連絡がとりやすくなるように,まず新橋・横浜間に鉄道をひきました。また,外国から日本に来た人が,東京に来るときに,鉄道を使えるようにすることで,日本の文明開化ぶりを,海外にアピールしようと考えました。

高かった運賃
当時は,客室が上等・中等・下等の3つに分けられていました。
開通当時の,新橋・横浜間の運賃は,上等が1円50銭,中等が1円,下等が50銭(せん)でした〔はじめは37銭5厘〕。

そのころのアンパンが1個5厘(りん),牛乳が180ミリリットルで5銭。
上等に乗るにはアンパン300個分の料金が必要でした。一般の人には高くてなかなか乗れませんでしたが,連日満員になるくらいの人気ぶりでした。

乗客心得(じょうきゃくこころえ)
当時の駅には,右のような「鉄道乗客の心得」がはってありました。
「15分前にきてキップを買うこと」とか「料金をつりせんの無いように用意する」など,お客さんを乗せてやるといった感じです。多くのお客さんに利用してもらいたいという,今の鉄道会社とはずいぶんちがいますね。

鉄道寮(てつどうりょう)という国土交通省のような役所が,鉄道に関する仕事をしていましたが,まだ江戸(えど)時代のように役人が人々をとりしまるという習慣が残っていたのでしょうか。

「乗客心得」は,クリックすると大きくなるよ。→

外国人技師(がいこくじんぎし)の給金(きゅうきん)
文明開化したばかりの日本は,鉄道をつくろうと思っても,その技術がありませんでした。そこで,奈良時代に遣唐使(けんとうし)からさまざまな大陸の文化を学んだように,明治政府はイギリスなどから鉄道の技術者をまねきました。
建築師長(けんちくしちょう)としてやとわれたイギリス人のエドモンド・モレルは,29歳という若(わか)さながら850円という月給をもらっていました。今の総理大臣(そうりだいじん)にあたる太政大臣(だじょうだいじん)の月給が800円だったので,それ以上の待遇(たいぐう)です。
当時の政府が,いかに外国の技術を学ぶことに熱心だったかわかります。もともと高い技術をもっていた日本の職人たちは,外国の新しい知識をあっという間に吸収(きゅうしゅう)し,鉄道開通の17年後の1889年には,東海道線が全線開通しています。
イギリス人 日本人
氏 名 仕 事 月給(円) 仕 事 月給(円)
ウイリアム・ウォルター 総責任者 2,000 太政大臣 800
エドモンド・モレル 建築師長 850 鉄道局長 350
ジョン・イングランド 建築副長 750 新橋駅長 45
ウイリアム・ゴールウェー 建築師 600 品川駅長 15
チャールズ・シェパード 建築副手 525 一等女工 1.7
トオマス・グレー 建築助役 400 二等女工 1.5

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