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山の中腹(ちゅうふく)に開かれた水田
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紀和町の面積のほとんどは山林で,平らな土地は川にそって広がっているだけです。 平地が少ないために,紀和町の丸山地区(まるやまちく)では,山の中腹に水田を開いています。丸山地区の水田がいつ頃から作られたのかははっきりしませんが,今から400年前には2200枚7ヘクタールの水田が作られていたとの記録が残っています。 山の中腹は,土地が傾斜(けいしゃ)しています。山の中腹を水田として利用するためには,石垣(いしがき)を組んで,土地を水平(すいへい)に作りかえます。 今から400年前は,現代のようなトラクターやショベルカーなどの機械はなく,石を運ぶにも水田を耕すにも,鋤(すき)や鍬(くわ)などの道具と人間の力だけが頼りでした。 山の中腹に人間の力だけで石垣を組んで水田を開いた場合,10アールあたり300人〜400人もの労働力が必要だったとの説があります。2200枚もの水田を開くには21000人〜28000人もの多大な労働力が必要です。 人間の力だけで,山の中腹に2200枚もの水田を切り開いた紀和町の先人(せんじん)の力は驚きです。 |
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