メニュー表示

会長 Diary

教育への思いを徒然につづった日記帳

大寒の日に、「命」を思う

1月20日の日曜日。  そして、大寒。

昨年末から、日本海側は雪、そして太平洋側は晴れ、という日が続いている。こちらは年が明けて一度小雪がちらついたが、あとはずっと晴天。

とにかく乾燥していて、毎日インフルエンザの注意を呼びかけている。

この20日間、いろいろあった。

仕事の上では、全国各県での会議がスタートした。 それはいい。

20日間に、しかもその中の1週間の中で3回のお別れ会(告別式)に参列することになった。

当然、それぞれに悲しみが伴うが、なかでも早すぎる別れは何とも痛ましい。辛いものだった。

「命」について、最近考えることが多い。年齢のせいだと思う。

昨年「尊厳死」を望んで公証役場に出向き書類を作ってもらったことは、前に書いたかもしれない。

「耐えられない苦痛」と「回復の見込みがない」が尊厳死の基準であって、私もそのことを納得したつもりで、そんな行動をとったつもりだった。

しかし、もう一つ、心の中の本音というものがあった。

それは「残される家族に迷惑をかけたくない」ということだった。

そのことに気づくことになったのは、ある本がきっかけだ。

「こんな夜更けにバナナかよ」(文春文庫 渡辺一史著)

もう亡くなった、筋ジストロフィー患者のドキュメンタリーの話だ。

自分では生きるための何もできない患者は、(それでも)生きたいと思う。

しかも、家族に負担をかけないで生きたいと思う。

そのために20~30人のボランティアが、24時間毎日、彼の世話をする。

夜更けに「バナナを食べたい」と言われたら、夜中に買いに走る。食べ終わったら「もう1本!」。

ボランティアの人たちは、そのわがままに文句を言いながら、ケンカしながら、だんだん積極的に参加するようになっていく・・・。

「人に迷惑をかけたくないという生き方の偽善の皮をはぎ取る」

このことを突き付けられた気がした。

「人に迷惑をかけたくない」というのが、生きることを否定する正当な理由というのなら、この患者のような状況の人は、生きる価値が無いということになってしまうのかもしれない。

「命」というのは、誰もが持っている「生きたい」という叫びなのだ。

学校での「特別な教科 道徳」の時間では、生命(命)の大切さを考える授業が設定される。

「こんな夜更けに・・・」は、見事な教材だと思うが、どうだろうか。


«  | 記事一覧 |  »