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ちょい読み!教師のチカラVol.5

教師のチカラNo.39(2019年秋号)巻頭インタビュー

この記事を読むのに、約3分程かかります。

ボートレーサーになりたい

 小学生の頃、母と東京都のボートレース江戸川を走るボートを堤防から眺めたことがありました。体を斜めに乗り出したレーサーたちが操縦する6艇のボートが、迫力あるエンジン音と水しぶきを上げ、水面で激闘を繰り広げる姿に、「こんなボートを自分で操縦したい」「大人になったらボートレーサーになる」と、大興奮で母に宣言、これがボートレースとの運命的な出合いに。そして、好きなスポーツを聞かれると、必ず「ボートレース」と答えるようになりました。
 中学校で中間・期末テストの全科目合計得点の学年順位が発表されるようになり、負けん気が刺激され、1番を競う「勉強レース」にのめり込みました。ふだんは軟式テニスクラブでへとへとになるまで練習していましたが、試験前の1週間は短期集中型の「ガリ勉」と化しました。いったん集中すると、図書館の開館から閉館の夜9時まで、何も気づかずに勉強していることもありました。
 高校は都立駒場に進学。「勉強レース」がさらに加熱し、学友との競り合いを制して、ほとんどのテストで1番を維持していました。
 大学は都内の国立のなかから、大学名がかわいく 、キャンパスの雰囲気がよかったお茶の水女子大学理学部に入学しました。4年のゼミでは「溶液化学に関する研究」という卒論テーマで、水とアルコールの水素結合について研究を進めていました。
 大学院進学が決まっていた1月、研究室で先輩の一人が就活情報誌に掲載されたボートレーサーが国家資格であることを見つけて、「なりたがっていたよね」と教えてくれました。この記事によって、資格試験を通れば、何の経験もない自分がこれからでもプロのボートレーサーになれることを知りました。

まだ間に合う夢に向けて

 翌日には募集要項と願書を取り寄せ、ボートレーサーをめざすことを両親に話しました。実際になれると思っていなかったのかもしれませんが、母は「あら、すごい!」、父は「もう決めたんだろう?」といった反応で、私の意志を尊重してくれる世界一 寛大な両親でした。
 福岡県柳川市にあるボートレーサー養成所の入所試験に応募、試験は3次までありましたが、40倍の難関を1回目の受験で合格することができました。
 2016年10月、ボートレーサー養成所に入所。男子はスポーツ刈り、女子はショートカットと決められており、私もロングヘアーを切りました。技術や知識を学ぶ基礎訓練と、その後はボートを操縦しての応用訓練、最後に資格検定試験を受験することになります。養成所での1年間は周囲から遮断された生活を送りました。帰省できるのは年末年始と夏休みだけ、携帯電話やパソコン類は持ち込み禁止、電話は公衆電話に並んで、週1回日曜日だけかけることができます。しかし、長電話はできず、親や友人とのコミュニケーションは手紙が中心でした。
 起床は6時、1秒早くても1秒過ぎてもだめで、すべての行動を秒単位で自己管理できるようにしなくてはなりません。養成所内にはレース場と同じ規格の水面が2つあり、0・1秒単位で時間を把握し、スピードを上げる実技訓練が行われました。学科は問題なくこなせましたが、正確さと手早さが要求されるモーター(エンジン)整備は大きな課題で、やっていけるのだろうかという不安にさいなまれることもありました。
 36人だった同期生は1年後には25人に減り、このうち女性は5人だけでした。卒業時に行われた「修了記念競走」を同期生と競い、1着を獲得。この日は家族の参観が許されており、来てくれた母と姉を少しだけ安心させることができました。

プロのボートレーサーへ

 ボートレースは、6艇で600メートルを3周して着順を競うレースです。日本全国24カ所のボートレース場で4〜7日間のレースが開催されます。レーサーはレース場ごとに異なるボートとモーターの状態、レース場や気象環境、水面コンディションなどの情報をすべて頭に入れてレースに臨みます。ボートに備えられているのはアクセルとハンドルだけで、ブレーキはなく、体重移動でバランスを取ります。レーサー自らが行うことになっているレース前のモーター整備はレースを決める重要な要素で、モーターに装着したプロペラは、モーターの性能に大きく関わってきます。
 レースにはゴールで着順が決まるまでにさまざまな駆け引きや攻防があり、奥の深いおもしろさがあります。1周目の「1マーク」と言われる最初にターンするポイントで先頭に立っていなければ、前を走るボートの「引き波」を受けて前に出ることは難しくなります。そのため、「差し」や「まくり」などの戦法で勝利をねらいますが、それにはスピードと高度なハンドルワークでボートを操る一瞬の判断力が必要です。
 2017年11月、第121期生として初戦デビューを果たしました。強風で水面の荒れた東京都ボートレース平和島で、先輩レーサーを相手に6艇中5着同着という結果でした。
 着実に成長しているはずなのに、2018年になってもなかなか初勝利を挙げることができませんでした。勝負どころでハンドルを切ることも、スピードを上げることも、安定した操縦もできないようなレースが続きました。キャリアのあるレーサーは1周目で上位にいたら、それ以降順位を落とすことはほとんどないのですが、私は技術力不足で下位に落ちることもありました。また、4着などで走っているとき、仕掛けるより今の順位を落としたくないという消極的な気持ちが働くこともありました。
 2019年3月の212走目、香川県ボートレース丸亀でようやく1勝を挙げ、レース後、選手仲間から水面に投げ込まれる「水神祭」の洗礼を受けました。5月に埼玉県ボートレース戸田で2勝目、6月に同レース場で3勝目を挙げました。
 私は月に2回程度レースに出場、残りは自宅でトレーニングをしています。出場していないときも都内のレース場に来て、本番レースの合間の1、2分に練習運転させていただくこともあります。「師匠」と呼び、指導を仰いでいる一人の先輩に、課題となっているポイントを中心に見ていただき、改善点を探ります。課題は自分が提示しなければ見てもらえません。
 2019年8月現在、プロのボートレーサーとなって2年弱を経て、選手のランクを示す級別はB1、8勝という成績で満足できる状況ではありません。私の「舟券」を買った方に申しわけない思いがあります。一走一走をむだにせず、最後まであきらめずに、3着以内に入って「舟券に絡む」成績を残していきたいです。 

夢を見失いそうなときには

 思うような競走成績が出せないとき、思い出す高校時代の先生が一人います。生徒各々の性格や行動、ふだんのがんばりなどを実によく見て接してくださいました。私が体育祭のリレー選抜でころんだときも、一人で練習していたことをご存じで、かけていただいた先生の言葉が温かく心に広がり、次のやる気を引き出してくれました。私だけでなく、クラスのほかの生徒もこうした経験をしていたようでした。
 大学時代、進学塾でアルバイトで講師を務めていたときには受講生一人一人に合わせた指導法を行うように努めていました。たとえば、数学では解答に導く複数の道筋があり、そのなかで生徒が最もわかりやすいと思われる方法を選んで指導しました。本人が「これならできるかな」「やってみよう」と思えるところまで寄り添うように心がけました。
 教師になった方たちは子どもたちを育てるという大きな夢をもって仕事を選ばれたことでしょう。もし今、希望を見失っておられるような状況にあるとしたら、大きな目標をいったんわきに置いて、目の前の自分が必ず達成できるような目標を設定し、その結果を積み上げるという方法を試してみてはいかがでしょうか。
 レーサーになった当初、インタビューなどで目標を聞かれると、「SG(スペシャル・グレード:格付け最上位のレース)で活躍したい」と答えていました。今ではそれがとても無謀な発言だったとわかっています。今は一勝することより、自分のスピードで、自分が思い描いたルートで、自分の戦略に沿ったレース展開を行うことを目標にしています。それは、目先の着順にとらわれることなく、可能な限り旋回力やスピードを上げてレースに挑むということです。抜かれないように小回りをしたり、消極的なレースをしていたのでは目標に近づくことはできません。ハンドルを切ったことで着順を落としたとしても、冷静に攻めるという選択肢しか今の自分にはないのです。レースで取り返しがつかないことはただ一つ、挑戦しないことであり、迷ったらやってみるしかありません。レース前日は明日のことを考えて興奮で眠れないこともあります。持ち前の集中力と負けん気で、失敗を恐れずチャレンジしていくしかありません。そうすることでしか前に進む道はないのですから。そして、それが日々を生きることでもあると思います。


表紙
子どもを「育てる」
教師のチカラ

子どもを「育てる」教師のチカラNo.39(2019年秋号)

特集 ”学び続ける力”を育てる

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