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ちょい読み!教師のチカラVol.7

教師のチカラNo.41(2020年春号)巻頭インタビュー

育児放棄や児童虐待のない世の中をめざして今の私ができることを

戦慄かなの(アイドル/NPO法人「bae(ベイ)」代表理事)

この記事を読むのに、約3分程かかります。

16年間信頼できる先生がいなかった

 小学生の頃、授業中はほとんど寝ているかマンガを読んでいたので、勉強の仕方も授業内容もわからず、成績はいつもビリ。担任の先生に授業中指されても何も答えられず、「なぜ答えられないんだ」と何度も感情的に怒鳴られました。

 毎朝の学級会では、子どもが交代で「1分間スピーチ」を発表していました。私にはパニック障害もあり、緊張のあまり一言も発することができませんでした。そのとき、先生が怒りをあらわに私の机を蹴ったことが忘れられません。私だけでなく、叱られた男の子が階段を引きずり下ろされるのを見たこともありました。子どもが何かをできないのには、で きないだけの理由があります。それを聞かずに感情的な態度を表したり、暴力的になったりする先生が怖くてなりませんでした。

 小学校では暗い雰囲気の子どもでした。家で入浴させてもらえない時期があり、スクールカーストの最下層に位置づけられていました。女子のグループ内で口を聞いてもらえず、男子も絡んで陰湿ないじめを受けました。中学校ではそんな状態を変えようと、努めて明るい態度をとっていましたが、勉強はますますわからず、何をやってもうまくいかない落ちこぼれでした。将来何をやっていいのか想像ができず、「いつ死んでもいい」という感じでした。

 そんななかで中学2年のとき、学級内でハブられ、上級生にもいじめられて心が折れてしまいました。担任の先生や学校カウンセラーに相談しましたが、「うんうん」と聞くだけで、グループ内のいさかいとして扱われ、話し合いの場を設けるような対処もしてもらえませんでした。周囲に「かまってほしいだけなんじゃないか」と言われて、「死ねたらいいな」と思い、校舎から飛び降りました。自分が死ぬことで、みんなに私が感じている絶望感がうそではないと気づいてほしかったのです。3階からでしたので死ぬことはなく、腕と足の骨を折って救急車で運ばれました。結果、状況は何も変わりませんでした。

 今も学校については思い出したくないことばかりです。小学校から中退する高校1年まで、私に遅れた勉強を教えてくれるような熱心な先生もいませんでしたし、私が学校や家で苦しんでいることを気づいてくれる先生もいませんでした。もし、私と真剣に向き合い、最後まで突き放さないと確信がもてる先生に一人でも出会っていたなら、それからの私の生き方は違っていたのかもしれません。周囲の大人は全員ひとくくりで、誰も信頼できない存在でした。

母親の虐待に気づかなかった

 家庭では母親が父親に暴力を振るい、私が6歳のときに離婚、それからは母親と私と妹の3人暮らしでした。私と妹は日常的に母親から殴る蹴る、さらに言葉の暴力を受けていました。母親は暴力を振るっていないときは、優しく愛情を注いでくれたので、私には虐待されている認識はありませんでした。母親は理想が高く、私の1が並んだ通知表に激怒しました。男の人と1週間海外に行ってしまったこともあり、家のなかの食料が3日ほどで尽きた後は妹と二人、水道水で空腹を紛らわしました。貧困ではなかったので、家のなかで何が起きているのか、周りに伝わることはありませんでした。

 家で母親に暴力を振るわれたり、母親が男の人を家に連れてきたりして家に帰りたくありませんでしたが、母親と暮らせなくなると困ると思い、学校では家の事情を話せず、虐待は誰にも気づかれませんでした。もっとも、隣の学級で親がたまにしか家に帰ってこない子のことが話題になっていましたが、先生たちは気づいていながら、何の手だてもとりませんでした。

 中学生のとき、買い食いのお金がほしくて万引きを始めました。何度か補導されましたが、学校にはばれませんでした。放課後、急いで秋葉原などへ行き、非行グループに加わるようになりました。非行であってもお金を稼ぐことで、自分に自信がもてるようになり、きらきらした満足感がありました。

 高校に入ると誰とも関わりたくなくて、ほとんどの時間を学校のトイレで引きこもっていました。同時に非行がエスカレートして、学校に行かなくなり、1年で中退しました。

 高校をやめてから補導されるまでの2、3カ月はJKビジネスで月100万円から300万円ぐらい収入がありました。お金があっても欲しいものがあるわけではなく、買うのはお菓子ぐらいでした。

 2014年、16歳で補導されたときには、家庭環境が劣悪だったこともあって少年院に送致され、2年間社会と隔絶された生活を送りました。それは自分のこれまでを振り返り、16年間に受けたダメージを癒し、前を向いて社会に出るために必要な時間でした。少年院にいる間に取得できる資格をすべて取り、高卒認定試験にも受かりました。

 そして、ここで一人の法務教官に出会ったことが私にとって大きな転換点となりました。学業や生活全般の指導を受けただけでなく、家族や非行に至るまでのこと、退院後の社会に出てからのことなどすべてを話しました。先生は私のためになることは何でもやってく れました。まったく動かなかった私の気持ちが揺さぶられました。私が人生で初めて出会った信頼できる大人でした。

 2016年、18歳で少年院を出ました。流されそうになる日常のなかで、少年院で学び、考えたことをやり遂げようと努める一方で、ツイッターに投稿したダンス動画を見た芸能事務所にスカウトされ、アイドル活動を開始しました。大学受験のため、この活動はいったん休止することになりましたが、孤独だった幼稚園の頃、ダンスをしているアイドルが好きで自分もそうなりたいという夢が再燃しました。講談社の芸能オーディション「ミスiD2018」に応募、4000人のなかから最終面接に選考されました。審査員に履歴の空白の2年間について聞かれて、少年院の話をして注目され、新たに設けられた「サバイバル賞」を受賞しました。

 2018年に大学法学部に入学。同年、2つのアイドルグループで活動を再開しました。メンバーに誘われたZOC(ゾック)の方は事務所に所属してマネジメントしてもらっていますが、妹と2人で立ち上げたグループの方は曲づくりや振りつけ、出演交渉などのすべてを私がプロデュースしています。アイドル活動は浮わついた仕事と思われがちですが、挫折の連続だった人生を逆転するために挑戦し、ようやくつかみ取った夢の実現で す。本意でないこともありますが、今の自分を表現できるステージです。

 大学では少年院で影響を受けた先生のようになりたいと法務教官の資格を取得するつもりでしたが、2019年に育児放棄や児童虐待問題の解決を目的としたNPO法人「bae(ベイ)」を立ち上げたことで優先順位を下げ、ゆっくり取り組んでいこうと考えています。

 20歳になったとき、保護観察処分が解けて私は妹と同居、母親とは別に暮らすようになりました。母親を憎んだり、仕返しをしたいとは思いませんが、許す必要もないと思っています。母親は私が子どもの頃と少しも変わらず、私の方が大人になるしかありませんでした。2カ月に1度会って話をする今の距離がベストです。

NPO法人で幼い頃自分が必要だった支援に取り組む

 現代社会において、児童虐待や育児放棄によって苦しんでいる子どもたちを保護する仕組みが整っているとは思えません。学校は子どもの家庭に踏み込むのが難しく、地域コミュニティーも隣近所が子どもを見守る風潮は失われつつあるようです。たとえば私の家では、母親が虐待しているシングルマザーと認識されるのを嫌い、私や妹が近所の人と話すことを禁じていました。

 虐待を受けていた幼い頃に、「あればいいのに」と思っていた仕組みがないのなら私がつくろうと決意。どこまでやれるかはわかりませんでしたが、目標額85万円のクラウドファンディングを設けて2日間で達成、最終的に353万円を集め、2019年にNPO法人を設立しました。クラウドファンディングにしたのは、お金の流れを明確にし、社会的に認められる形態をとりたかったからです。

 今は児童虐待や育児放棄に関わる講演会や相談会を行ったり、毎日100件以上のダイレクトメールやツイッターで子どもたちの相談に応えたり、アンケートの調査・分析活動に取り組んだりしています。中学校で行った講演では、600人ほどの生徒が寝ることなく熱心に私の話を聴いてくれました。全校生徒の感想用紙に目を通すと、まじめに耳を傾けて考えてくれたことがわかり、胸が熱くなりました。また、作家の室井佑月さんに誘われて、評論家の小沢遼子さんと共に月1回のチャリティートークイベントにも参加しています。

 情報を収集し、すでに活動している人たちとつながりをもち、いろいろな人の意見に耳を傾け、今を本格稼働に向けての準備段階と捉えています。将来的には場所と人材を確保して、子ども食堂やシェルターなどに取り組んでいくつもりです。必要な子どもにお弁当を届けるような配達システムもやっていきたいことの一つです。それがいつ実現できるかを考えると心もとないのですが、10年先、20年先を見据えてできることを少しずつ積み重ねていきたいです。

 NPO法人活動のなかだけでなく、アイドル活動でも私が自分の虐待の話をするのは、子どもの頃、私自身が虐待を受けていることに気づかず、外に救いを求めることができなかったからです。育児放棄や児童虐待を受けている子どもたちに、自分には何の責任もないことを知らせ、可能なら自分から声を上げてもらいたいのです。私の体験談が誰かの役に立って、周りに相談をするきっかけになればと思います。

 アイドル活動と少年院出身だということは私のなかでは切り離して考えています。NPO法人を立ち上げるのに立場を明確にする必要から公言したにすぎません。子どもの頃に憧れたアイドルグループの一員として、全国ツアーや大ホールでのコンサートもやっていきたいです。それが少年院で暮らす子どもたちに、「少年院にいても大丈夫、がんばって生きていけるよ」という勇気を届けることにつながればと願っています。

 21歳の今、助けが必要な子どもたちに向き合い、自分がもっている拡散力を生かして、できる限りのメッセージを伝えていきたいです。


表紙
子どもを「育てる」
教師のチカラ

子どもを「育てる」教師のチカラNo.41(2020年春号)

特集 新年度スタートだからこそ!「わかる、できる、おもしろい!」年度始めの授業はこうする!

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