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ちょい読み教師のチカラVol.8

教師のチカラNo.42(2020年夏号)巻頭インタビュー

いじめの根底にある人が人を操縦する快楽を知り,「権力欲」と粘り強くたたかう

鴻上尚史(作家・演出家)

この記事を読むのに、約3分程かかります。

いじめの根底にある「権力欲」と教育現場の隠蔽体質

 子どもが自死する原因の一つであるいじめ問題がなくならないのは、その根底に、人がほかの人を操縦する快楽があるからだと思います。人には人をいじめることで、相手がおろおろしたり、落ち込んだりするのを見て喜ぶ「権力欲」があるのではないでしょうか。十分な判断力のない子どもが大金を手に入れてはならないように、子どもはほかの人を操縦する快楽を手にしたり、それを行使したりしてはダメでしょう。いじめがなぜ発生し、簡単に終わらせることができないのか、その仕組みを知り、子どもが権力欲におぼれないよう導かなければならないと思います。

 劇団を40年以上率いてきてわかったことですが、人は30人を分岐点として、それ以上の人数では集団の質が明らかに変化します。30人以上を一人が牽引するには無理があり、それは人がそうした特性の動物だからではないかと考えています。30人以上の学級は教師の許容範囲を超えており、ある意味で荒れるのは当然だと思います。僕は一学級の理想は25人で、これを推し進めるべきと提唱しています。

 小説『青空に飛ぶ』で書いたように、いじめ問題が発生したとき、担任教師や学校側はいじめの存在をわかっていながら、大抵はなかったと発表します。学校にこうした隠蔽体質があることは、誰もが感じていることではないでしょうか。

 そして、これに大きく関わっているのが教育委員会です。教育委員会は学校に対して、警察と裁判所の両方の役割を兼ね備えています。学校が教育委員会に問題が発生したと届け出を行うと、委員会の調査・判断に基づいて減俸や罷免・ 解任などの懲戒を受けますので、学校は問題を隠蔽せざるを得なくなっているのだと思います。

 12、13年前、新聞の悩み相談でいじめを受けている子どもに「学校やいじめている相手から逃げろ」とアドバイスしたことがありました。「逃げろとは何事か、立ち向かうようアドバイスすべき」という声と、「初めて逃げろと言ってくれる大人に出会えてほっとした」という反応に二分されました。

 それから12、13年たった今、世の大勢が「いじめにあったら逃げて当然」という意見に変わりました。それは、いじめの実情が明らかになってきたからです。学級全員が一人の子どもを透明人間のように扱って口を一切きかなかったり、自暴自棄になった子どもが「窓からとび降りる」と言うと、「早くとび降りろ」と全員ではやし立てたりという状況がたびたび報じられました。「死にたい」という子どもに、「がんばれ」や「たたかえ」はあり得ません。僕は今も「逃げろ」と言います。命より守るべき大切なものはないからです。

 数年前、公立図書館の若い司書がTwitterで「学校が嫌になったら図書館に来て」とツイートしていました。公立の職場で勇気のある発言だと思っていましたが、ベテラン司書からは案の定、「学校教育を否定するのか」というような反発があったようです。Twitterで救われる命があるのなら、つぶやく意味はあると言えるのではないでしょうか。

学校は何のためにあるのか

 現在、雑誌で悩み相談に応えています。そんななかで多いのが、大学生が「卒業後何をしていいのかわからない」という相談です。その多くは自分の頭で考える練習をしないまま、小学校から大学まで親や先生の言う通りに進学し、親が喜ぶように行動してきた子どもたちです。就職する段になってはじめて、どうしていいのかわからなくなるのです。

 最近、子役のオーディションを実施しました。50人くらいの小学生が踊って歌った後、みんな水筒をもっているのに、「飲んでいいよ」と僕が声をかけるまで、誰一人飲みませんでした。学校では教師から「先生の指示で水を飲む」ように言われているとのこと、「水分を欲している自分の体の声に応えず、先生の声に従ってどうする」と、Twitterで苦言を呈したところ、700万人が読みました。現役の教師の方なのかどうかはわかりませんが、「いつ飲んでもよいことにすると教室が混乱する」「午前中に全部飲んでしまうと午後から困る」などの反論がありました。

 学校は本来、「子どもを健康的に自立させる」ことを目的として、「子どもが自分の頭で考え、判断する能力を学ぶ」場所であったはずです。自分の頭で考えるということは、「正解が一つではないこと」や「正解を選んでもプラスとマイナスの結果があり、その両方にリスクがある」と知ることです。長年、ボーイスカウトで指導に当たってきた人が「低学年は飲む指示を出しますが、高学年は子どもの判断に任せるべき」と返事をくれました。卓見だと思いました。

 しかし、教師歴の長い先生方のなかには「子どもが在学中、問題を起こさないこと」を目標においておられる方もいるようです。それは、日本社会の特性であり、与えられた条件をそのまま変えないで続けようとする「所与性」そのものではないでしょうか。

 2017年に大阪府立高校3年の女子生徒が生まれつきの茶色い髪を黒く染めるよう強要されたとして、府を大阪地裁に提訴する事件がありました。この高校の教頭先生が「金髪の生徒が入学してきても黒く染めさせる」と発言しているのを聞きました。このように、学校が本来の目的を見失い、思考を停止したように前例をただ守る所与性に従う例は数多く見られます。

無意味な校則の撤廃を

 学校が子どもたちを小中高と校則でがんじがらめにするのは、子どもに「自分の頭で思考させない」「在学中問題を起こさせない」ためだという見方もできると思います。同時に、学校や一部の教師が子どもたちの成長に必要な「より上位の目的を見失っている」と いうこともできます。校則は本来子どもたちが自ら判断すべき行動や服装、髪型、持ち物などを、論理的な根拠がないまま学校が規制するものです。小学校の校則には有用な項目もあるようですが、中高の校則には無駄なものが多過ぎます。

 学校や教師が、何が上位の目的なのかを見失っている例として、小学校の「もぐもぐタイム」と称する給食中におしゃべりをしてはいけないルールがあります。残食率が減ったという結果が公表されていますが、それと子どもたちが給食を楽しく食べながら級友とコミュニケーションをとることでは、どちらが子どもにとってより上位の目的になるかを考える必要があると思います。

 僕自身も中学時代から、無意味な校則を変えようとたたかってきましたが、結果を出すことはできませんでした。高校ではそのために生徒会長になり、県の生徒会連合会を秘密裏に組織しましたが、それでもうまくいきませんでした。ほかにも高校の文化祭で餅つきをやろうという話になって、校長先生に相談に行くと、「杵きねで手をけがするからダメ」という理由で断られ、あまりのバカバカしさに、校長への尊敬はゼロになりました。

 一方、校内の服装検査を行っている際に「こんな規則にどんな意味があるのだろう」と顔に表れている教師がいて、心のどこかで理解し合えるような気がしていました。高校卒業後の学年同窓会ではこうした教師の周りに卒業生が集まっていて、みんな同じことを感じていたんだなと思いました。子どもたちは無意味な校則を押しつけられることに反発しますが、それ以上に校則を通して、学校や一部の教師が本気で自分たちに向き合っていないことに気づき、不信感で教師を尊敬できなくなるのです。

 千代田区立麹町中学校や世田谷区立桜丘中学校などでは、校則を廃止するような教育改革を実施して、結果を出しています。さらに、世界の潮流に目を向ければ、LGBTやMeToo運動、夫婦別姓など、多様性や人権が認められる方向に社会は着実に進んでいます。やっかいなのはそうした流れを怖がり、変化に耐えられない人たちが引き起こす揺り戻しで、こうした動きに注意しなければなりません。

 教師のみなさんは、世界は確実に希望の方向に変わっているという確信をもち、子どもたちのために学校の体制や意味のない校則と向き合ってほしいと願います。大丈夫、たとえうまくいかなくても、子どもたちは先生が悩んだり、奮闘したりする姿を見ています。

記憶に残る夏休みを

 僕の両親は共に小学校教師でしたので、教職がどれほど大変かは理解しているつもりです。教師間のいじめが問題になっていますが、過度な勤務体制が大きな原因だと確信しています。改善が急務です。

 夏休みは先生方に十分な休暇をとっていただきたいです。担任以外に部活動の面倒も見ておられるようでしたら、専門のコーチを依頼するなど対策が必要でしょう。精神的なゆとりがなければ、教科研究を進めることもできません。

 子どもにとって夏休みは遊ぶためのものです。「小4の夏はこんなことに挑戦した」「中2の夏はこんな遊びをした」というようなエピソードをつくってもらいたいです。休む日数で学力低下を懸念して夏休みを短くする傾向があるようですが、2カ月以上休む欧米諸国と比較すれば、意味がないとわかるはずです。 

 先生も子どもたちも自分がおもしろいと思えることを一生懸命やって、記憶に残る夏休みを過ごしてほしいです。


表紙
子どもを「育てる」
教師のチカラ

子どもを「育てる」教師のチカラNo.42(2020年夏号)

特集 新型コロナウイルス禍に立ち向かう~教師は,学校は,いまなにをすべきか

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