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ちょい読み教師のチカラVol.11

教師のチカラNo.45(2021年春号)巻頭インタビュー

子どもの頃の夢に挑戦し続けて
書道の魅力を世界に発信

原 愛梨 / 書道アーティスト


「書道アート」はその時々の話題になった人物や事象を毛筆で捉えたフォルムと、メッセージを伝える筆文字で構成されています。原愛梨さんが書道の魅力を世界中の人々に伝えようと、書道と絵画を融合して表現した新しいジャンルの創作です。彼女がこの先進的なアートを確立するまでには試行錯誤の連続があり、その道程は平坦なものではありませんでした。そして、彼女はこれからもその道を極めるため、輝くような笑顔で瞬間瞬間を全力で駆け抜けていこうとしています。子どもたちの夢がかなうようにという願いが込められた彼女の言葉に耳を傾けてみましょう。


将来の夢は「書道が上手なタレント」


 書道は3歳年上の姉のまねをして2歳から始めました。教育熱心な両親のもとで、小学生のときには週3回の書道のほかに、ピアノ、合唱、演劇、水泳教室に通っていました。習い事のなかでも書道がいちばん好きで、家に帰ってから毎日書道の練習をしていましたし、土日には12時間以上筆を握っていました。好奇心旺盛で、やり始めたら納得がいくまで突き進む性分は今も変わりません。

 小学校から高校まで勉強は好きではありませんでしたが、毎朝学校に行くのは楽しくてしようがありませんでした。

 小学校では学級目標や賞状の名前など筆で書くものがあるときは、先生が必ず私に任せてくれました。そして、書いたものをクラスのみんなに披露して、「これは原が書いたんだよ。すごいね」と褒めてくれました。友達から学校帰りに遊びに誘われても、私は習い事で毎回行けないのですが、「愛梨は書道で忙しいから行けないよな。がんばれ」と、友達から背中を押してもらっていました。私がクラスの友達からつきあいが悪いと仲間はずれにされたり、いじめられたりしなかったのは、先生が私の得意なことや日頃のがんばりをみんなに認めてもらえるように、いつも気を配っていてくれたからなのだと、大人になってようやく気づくことができました。

 同じ頃、クラスに一言も話さない場面緘黙症の友達がいて、私は毎日、学校の行き帰りなどに一生懸命話しかけていました。「今日は何を話そうか」「どう話しかけたら口を開いてくれるだろうか」と考えながら一緒に過ごしました。最初はうなずくこともなかったその子が、1年近くたったある日、私にだけ口を開いてくれました。声を聞けたときの喜びは今でも覚えています。そして、彼女は10 年以上たった今も連絡を取り合う友達です。

 小学3年生のとき、最年少で全国書道コンクール文部科学大臣賞を受賞。小学5年生のときには、作文に「将来の夢」を「書道が上手なタレント」と書きました。単なる「書道家」には書道を極めたおじいさんのイメージがありますが、私は人前に立ち、書道の素晴らしさを全身で表現したいと考えていました。

 高校3年生のとき、書道の全国大会に行けるかどうかを決める県大会に出場しました。平安仮名が課題で、練習して自信をもって臨みましたが、大会当日激しい緊張感で手が震えて思うように書けず、惨憺たる結果に。初めての挫折感を味わい、それからは小筆を持つと手が震えました。2年後、母に「結果を出せなくても経験は自分のものになっている」と言われて、同じ課題の仮名作品に挑戦、最高賞を受賞することができました。書道で身を立てたいという気持ちは強くなっていきました。

 書道の魅力は毛筆が筆圧やかすれなど千差万別の膨大な情報を伝えられること、さらに筆を軸として、そこに3次元の空間が広がるところです。そうしたことで、口にして伝えることが難しいような言葉も、筆に乗せて文字にすれば伝えることができます。

 高校で進学を決める際に「書道家になりたい」と言ったところ、担任の先生から「何を言っているの。無理無理、普通に進学しなさい」と言われました。「なぜ自分の夢を理解してもらえないのだろう」と傷つきながらも、「自分には書道しかない」という気持ちが揺らぐことはありませんでした。もちろんすぐに書道家になるすべなどなく、九州・四国内で書道専攻があった福岡教育大学教育学部に入学しました。

 大学では書道を学んできた学生たちと出会い、切磋琢磨する楽しさを知りました。教職課程を履修し、教育実習では授業内容に興味のない生徒にも関心をもってもらう方法を探りました。高校での教育実習の体験は、書道の面白さをどうしたら人に伝えられるのかを考える際に今も役立っています。高校の書道科と国語科の教員免許を取得しましたが、教職に就くつもりはありませんでした。大学卒業後は書道家になると決めていたからです。

 しかし、両親から「いったんは企業に勤めて社会を学びなさい」と説得され、地元の銀行に就職することにしました。

「爆弾」と呼ばれていた1年間の銀行勤務


  銀行に勤務した1年間は、学校と違い、楽しいだけの日々とは言えませんでした。一度ならずお客様の名前を間違えて呼んでしまったり、窓口でおつりを返し忘れてお客様の車を走って追いかけたり、重要な書類や伝票をシュレッダーにかけて、丸2日間それを貼り合わせたりというような事件を連発しました。上司や同僚は私以上に困惑していたようで、後で知ったのですが、私は「爆弾」と呼ばれていたそうです。上司によって「爆弾をどうする会議」が開かれ、私のために毛筆でお客様に宛名を書く係が新設されて、その専任になりました。それからほどなくして、私が書いた封書や手紙を受け取ったお客様が、文字を見て「元気が出た」「感動した」と、銀行を訪ねてこられるようになりました。こうしたお客様は私を窓口とした取り引きを希望されましたので、私はようやく営業成績を上げることができました。

 私の筆文字が人の心に届くことがわかって意を強くすると同時に、銀行は自分がいる場所ではないと実感するようになりました。今度こそ書道で生きていこうと決意し、24歳で銀行を辞めました。

書と絵を融合した「書道アート」を創造


 銀行を辞めてからの1年間は福岡県で「書道家タレント」として、パフォーマンスを行ったり、司会をやったりしていました。しかし、書道家タレントという新しいジャンルを切り開くには九州は狭く、もっと広いグラウンドに立つ必要がありました。上京したいと親に何度か打診しましたが、まったく聞いてもらえなかったので、先に荷物を送っておいて、反対を押し切り、上京を果たしました。

 東京では福岡で所属していた芸能事務所の東京本社に所属しました。当たり前ですが、上京すれば書道家タレントに仕事が来るということはありませんでした。当時はピアノを弾いて大きな文字を書くというような、書道と音楽を融合したライブパフォーマンスを行っていました。市役所を訪ねて祭りなどのイベントに出演させてほしいと依頼したり、書道を生かした販促物作成を企業に持ち込んだりと自分でさまざまな営業に取り組みました。順調とは言えず、何のために上京したのかと悩むこともしばしばでした。

 書道に興味をもってもらうにはどうしたらよいのかと2年ほどは試行錯誤の連続でしたが、立ち止まっていては道は開けないと、海外に出かけパフォーマンスに挑戦することにしました。シンガポールや中国の都市を訪ね、路上に集まった人々の前で、持参したうちわや扇子、半紙などに観客が希望された言葉を筆で書いて差し上げました。興味をもって集まってくる人が意外に多く、手応えを感じました。しかし、英語力が十分ではないため、何と書いてあるのか説明できないもどかしさもありました。この時、言葉が通じない人々に書道の魅力をどうしたら伝えられるのだろうかと異国の地で思い悩んだことが、書と絵を融合させた「書道アート」を生み出すきっかけになりました。

 書道アートは写真を見て、そのフォルムを絵で捉え、テーマやメッセージの文字で構成します。絵で表すことで誰にでもわかりやすくアピールし、絵で表せない部分は文字で表現することができます。私が対象を絵で的確に表現できるのは、書道で培われた手本を正確に写す「目測力」が役に立っています。

 日本に戻り、大好きな野球選手の投球フォームを名前の毛筆文字でかいた書道アート作品がSNSで話題になりました。それからは著名人や歴史上の人物、絵本やアニメの登場人物など幅広いジャンルの人物や話題の事象などを作品として発表しています。

 コロナ禍で自粛する前は全国各地で書道アートのライブパフォーマンスを開催していました。さらに、大好きな福岡ソフトバンクホークスのグッズをはじめ、企業のロゴや広告文字、販促物などをデザインするような仕事が軌道に乗り始めました。現在はこうした書道を生かした活動ができて幸せです。いつかニューヨークのタイムズスクエアに書道アート作品を掲げることができればと考えています。

子どもたちが自分の夢をかなえられるように


 書道アーティストとして、今の私があるのは、2歳から高校まで師事していた書道の先生のおかげです。今は亡き先生がつねづね話しておられたのは「お金は盗まれても、身につけた技術は盗まれない」ということでした。そして、だからこそ「自分の道を極めなさい。自分を信じて技術を一生磨き続けなさい」と最後まで教えていただきました。私が創造した書道アートを先生に見ていただけなかったことが心残りです。

 子どもたちにとって学校の先生の一言はとても重要です。その一言で自分の人生を決める子どももいます。先生に褒められることがうれしくて、それを励みに子どもたちはがんばることができるのです。先生の仕事は多忙で困難なことも多いと聞いていますが、子どもたちを大好きだという気持ちを失わず、子どもたちが夢をかなえられるように、子どもの心に寄り添い、一緒にがんばろうと声をかけてあげてください。

原 愛梨●はら・あいり●

1993年福岡県出身。2歳から書道を始め、8歳のとき最年少で文部科学大臣賞受賞。福岡教育大学教育学部生涯スポーツ芸術課程書美コース卒業後、地方銀行勤務を経て上京。書道と絵画を融合した書道アーティストとして創作活動を開始。幅広い分野を対象とした作品をさまざまなメディアで世界に発信している。


子どもを「育てる」教師のチカラNo.45(2021年春号)

特集 「学級づくり」の新提案
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