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ちょい読み教師のチカラVol.14

教師のチカラNo.48(2021年冬号)巻頭インタビュー

モノクロからカラフルな世界へ
勇気をもって自分を変える

井出上 漠 / モデル・タレント


井手上漠さん、18歳、性別はなし――。漠さんは性別について「身体と戸籍は男性。心は男性でもあり、女性でもある。どちらでもあり、どちらでもない。LGBTQ(性的マイノリティー)の『Q(クエスチョニング:性的指向や性自認が揺れ動いたり、定まらなかったりする人)』にいちばん近いのかもしれないけれど、当てはめられたくない」と言います。

漠さんには小・中学生の頃、学校や子どもたちのなかで、「普通の子」として受け入れられなかった時期がありました。漠さんは「普通」という言葉にとらわれ、押しつぶされそうになりながら、何度も自分に問い直し、ありのままの自分でいることを選択しました。そして今は、キラキラ輝くような自分の生き方を発信することで、10年後の誰もが互いを認め合う優しい社会をめざしていきたいと考えています。


自分を偽って「普通の男子」に


 私が生まれて最初の記憶は3歳のときに行った結婚式で、花嫁さんが着ている真っ白なウエディングドレスから目 が離せませんでした。これが私のキラキラしたかわいい、美しいものに惹かれる原点となりました。小学校中学年ま では髪を伸ばし、女子のようなしぐさで、休み時間は女子たちとおしゃべりをして、むじゃきに過ごしていました。

 小学校5年生になった頃から体育科の着替えのときなどに、男女が別々の部屋に分かれるようになりました。それ までは女子とばかり一緒にいたのに、着替えになると急に男子の部屋へ。周りの男子たちは次第に私に違和感を覚え始め、「気持ち悪くない?」という声が聞かれました。私の男子らしくないしぐさや髪を伸ばした容貌に、男子からの冷ややかなまなざしが向けられました。自分を守るため、「気持ち悪い」と言われないように、周囲の目を気にしておどおどと暮らすようになりました。

 そんなある日、「スポーツ大会」でほかの小学校と交流する機会がありました。他校生から奇妙な生き物を見るような視線を投げ掛けられ、「あの子、男なの? 変なの」と言われました。初めて会う知らない子たちにとって、私は男子でも女子でもない「気持ちの悪いおかしな子」に映っていると知り、絶望で胸が塞がる思いでした。

 それから数日後、私は「普通の男子になるしかない」と決意、大切に伸ばしていた髪を母に短く切ってもらいました。服装はTシャツとデニムに、言葉やしぐさも男子を装いました。仲のよかった女子と距離を置き、休み時間は男子と過ごして彼らの話題に合わせました。しかし、何をしても心は晴れません。目の前の景色は鮮やかさを失い、灰色の雲に覆われるようでした。このときから約4年間、私の周囲はモノクロに閉ざされました。

 小学校6年生のとき、町で毎年開催される「合同キャンプ」に参加したときのことです。島の内外の小学校高学年から中学生の40〜50名が島の豊かな自然を背景に、共同生活を体験します。テントは男女別で、やむなく私は男子テン トに宿泊。このときには髪も短く、服装やしぐさも「普通の男子」のつもりでした。それでも男子たちは私を気にくわ なかったようで、翌朝目が覚めると眼鏡が見つかりませんでした。同じテントの子たちが隠したようです。彼らにとっ ては軽い気持ちだったのかもしれませんが、私は眼鏡がないと何も見えません。テントは足場の悪い崖のような場所に設置されていたので、足がすくんで動けなくなり、その場にうずくまって泣くしかありませんでした。付近には同じ小学校の男子もいましたが、誰も私に声を掛けてくれませんでした。こんなことがこれから先もずっと続くのか、人生はなんてつまらないんだろうと考えていました。

 孤独な生活のなか、テレビで「性同一性障害」を知り、図書館やインターネットでLGBTなどの情報を収集して、性別に違和感を抱いているのが自分だけではないことを知りました。しかし、私が普通ではないことを受け入れたとしても、周囲がそれを知ったらどうなるのだろうかという不安を抱えたまま、中学生になりました。

カラフルな世界へ――ありのままの自分で


 中学校2年生のとき、突然転機が訪れました。

 「漠って男の子が好きなの?」。ある日、母が不意に私の恋愛対象を尋ねてきました。恋愛対象を聞けば、LGBTのどれに当たるか推測できるのではと、母が私を傷つけないように質問していることがわかりました。母に自分を否定されるのではないかという恐れと、やっと打ち明けられるという安堵で涙があふれ、泣きすぎて息が苦しくなり、さらには手足さえしびれてきました。好きになる人の性別は関係ないこと、普通になろうと髪を切ったこと、これまでのつらかったことなどを打ち明けました。

 「そっか……」「漠は漠のままでいいんだよ」という母の言葉で私の心と体が一気に軽くなり、声を上げて泣きました。それまでも母は私を一度も否定したことがないことを思い返し、母さえいてくれれば大丈夫だと、勇気が湧き上がってきました。私は自分を偽るのをやめ、ありのままに生きることを決意しました。

 翌日から始めたのは、大好きなメイクとファッションを極めることでした。放課後や休日の自由な時間、YouTubeを参考に母のメイク道具で練習に没頭し、幸福感に満たされました。

 すると、こうした気持ちの前向きさが、学校のクラスメートや部活のチームメートとの関係を変化させていきました。私は再び髪を伸ばし始め、話し方やしぐさを女子風に戻しましたが、以前のように「気持ち悪い」と言われることは少なくなりました。私のおどおどした態度が、周囲の人々を不快にさせていたようです。「自分の人生なのだから、自分が楽しいこと、好きなことを大切にしていこう」と決めると、モノクロだった私の世界はカラフルに一変しました。

弁論大会と「ジュノン・ボーイ」への挑戦


 中学校3年生のとき、国語科担任の能海千文先生から原稿用紙3枚程度で弁論文の宿題を出されました。つらかった4年間と今後はありのままの自分で生きていきたいという論旨でまとめた文章を提出。数日後、能海先生から「校内弁論大会」で発表するよう勧められました。家で母に話すと、「これがきっかけで何かが変わるかもしれないよ」と言われて、大会に参加することに。全校生徒と先生たちの前で弁論を行い、鳴り止まない拍手を受けました。この弁論が海士中学代表に選ばれ、「カラフル」とタイトルをつけました。続いて隠岐の島の「中学校弁論大会」に出場して優勝、さらに「島根県大会」「中国・四国ブロック大会」へと勝ち進みました。最終的に東京で開催された「第39回少年の主張全国大会」に選抜、結果は大会2位に当たる文部科学大臣賞を受賞しました。大会を重ねるごとに、これまで私を否定的に見てきた人を含め、島の多くの人々が私の生き方に耳を傾け、応援してくれました。そして、そのことが私に大きな自信をもたらしました。

 高校受験を終えた高校入学直前に、「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」に応募しました。ボーイズ・コンテストなので男らしくないといけないのかなという懸念がありましたが、普段どおりの写真を貼って、応募総数1万6293人の1人としてエントリーしました。1次の書類審査を通過、大阪会場で行われた2次審査の自己PRでは、ほかの候補者たちの特技に圧倒されながら、私は全国2位になった弁論大会の概略と結果を披露、103名の候補者に選ばれました。2次審査通過者に課せられたのはライブ配信アプリによる動画配信で、ファンの投票数でランキングが決まるシステムでした。投票は一定期間で区切られ、候補者が徐々に絞られていきました。毎日2時間の生配信が現役高校生にはかなりハードでしたが、その後も配信バトルを戦い抜き、ファイナリストの13人に残りました。「第31回ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト最終選考会」に出場、「DDセルフプロデュース賞」を受賞しました。世間が抱く「普通の男の子」のイメージが、時代とともに変化していくのを肌で感じました。

10年後の学校や社会を変えるために先生に望むこと


 学校は生徒のためにあります。先生と生徒がぶつかるときは時代が変化しているときであり、生徒たちがいきいきと生活できるように、時代に合わせて学校は変わっていくべきだと思います。

 高校3年生のとき、制服を学生服か、ブレザーとスカートかを生徒が選択できるように、校則の見直しに取り組みました。このとき、男性の先生に「自分とは異なる性別の制服を着たいなんて理解できない」と言われました。この先生にどう伝えればわかってもらえるのかを真剣に考えて、「先生はスカートで学校の廊下を歩けますか」と私が尋ねると、「恥ずかしくてできない」という答えが返ってきました。「そういう気持ちでずっと生活している生徒がいることを理解してください」という私の言葉から、ようやく話し合いに応じてもらうことができました。先生と生徒は生きてきた時代が違いますが、相手と真摯に向き合えば、歩み寄ることができます。制服を選択制にすることで、違和感を覚えていた生徒が一人でも救われたのなら、意味のある活動だったのではないかと考えています。それが小さな変化であったとしても、学校を変えようとする意志は、後輩たちや生徒がいずれ親になったときにその子どもたちへと引き継がれていくはずです。

 小学校から高校まで、ほとんどの先生たちから私は外見で否定的に見られてきました。当時の私は学校や先生に対 して、自分をどう表現すれば理解してもらえるのだろうかといら立ってばかりだったような気がします。しかし、偏見や課題に対して諦めるのではなく、一人でも多くの人に関心をもってもらい、一歩ずつ意識を変えようとすることが10年後の社会や時代を変革し、「SDGs(持続可能な開発目標)」のジェンダー平等にもつながっていくのではないでしょうか。

周囲を変えるにはまず自分が変わる


 小学校5年生から中学校2年生までの間、私をばかにする子やそこに乗っかってからかう子たちがいて、私には逃げ場がありませんでした。子どもたちは自分たちの社会で生きるために、その場にある「普通」に懸命に合わせなければならず、合わせていても誰もがいじめの対象になり得ます。しかもいじめはループ状で、助けてくれた子が次のいじめの標的になるのはありがちなことです。そう考えると、つらかった4年間、誰にも助けてもらわなくてよかったのだと思えてきます。

 こうした経験を通して言えることは、周囲を責めていても組織や環境が変わることはなく、まず自分自身が変わるしかないということです。そして、私が自分を変えられたのは、心のよりどころである母親と、子どもの頃から私を裏で支えてくれた親友の存在があったからでした。

 ジェンダー平等などへの取り組みは、私自身が生きることを楽しみ、キラキラ生きていく様を見ていただくことで伝えていきたいです。

井出上 漠●いでがみ・ばく●

2003年島根県隠岐郡海士町出身。2018年15歳で「第31回ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」の「DDセルフプロデュース賞」を受賞、「かわいすぎるジュノンボーイ」として注目される。2019年サカナクションのミュージックビデオ「モス」出演に抜擢。2021年井手上漠フォトエッセイ『normal?』を上梓。モデル業を中心に幅広い活動を展開している。


子どもを「育てる」教師のチカラNo.48(2021年冬号)

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