記録より、記憶・・・?

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日本標準

7月30日の日曜日。

昨日からの雨が降り続いているため、今朝はウォーキングできず。

梅雨が明けたら、梅雨らしくなってきたという感じだ。

 

それにしても、世の中はとにかく慌ただしい。そして危険に。

 

まず、アメリカ本土まで届くというICBMを、また北朝鮮が発射した。国民が飢饉で苦しんでいるらしいなかで巨費を投じて。

それでも暴走を続けるのは、それしか国を存在させる手段が無いからか。

 

そのアメリカでは、どんどんトランプ大統領が追いつめられている。ホワイトハウスが、チームとして崩れてきている。

追いつめられると、こちらも危ないタイプのようで心配。

 

そして日本も、危ない状況があふれている。

「戦闘」という文言(記録)を、トップで相談して消そうとしたこと。そこに大臣も同席していたらしいが・・・あいまいにすること。・・・危険なカタチだ。

「戦闘」と記録した(現地に派遣された自衛隊の)人がいるのに、「戦闘」(の危険さ)を消したということだから。

 

日本の政治の中枢でのやり取りが、あまりに稚拙なこと。

あの世界では、記録(に有ること)よりも、記憶(に無いこと)のほうが優先されるらしい。

「私の記憶にありません。ですから言ってません!」これには驚いた。記憶に無いなら、ふつう断言できないだろう。

私たち一般人というか、庶民の世界では通らないような理屈が、あの世界ではまかり通る。 これって、危険でしょ?

 

小学校では、「総合的な学習」の時間を削って、英語学習の時間にあてるという方針が出されている。

英語教育の重視に何の文句もない。(心配は山ほどあるが)

でも、「主体的・対話的で深い学びを」という方針とは、どういう関係になるのだろうか?

 

このへん、国の無理な理屈と、少し共通点があるような・・・。

どうです?

 

 

 

 

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