子どもたちの未来を見据えた政治を

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日本標準

6月25日の日曜日。小雨模様で、今朝のウォーキングは中止した。

東京は、都議選の真っ只中だ。

私は都民ではないのだが、やはりそこは1300万人が住む大東京のこと、気になる。昼間の人数はさらに膨れ上がるし。

豊洲・築地の問題、オリンピック・パラリンピック、その他の論戦が交わされているが、果たして、本当に都民の関心を集め、盛り上がっている状況なのだろうか?

都民が今不安を感じ、安心したいと思っていることとは、ずれているのではないのか。

老後の不安、教育の心配、生活の安定など、日常のことにこそ、政治の意味がある。選挙はその大事な手段だ。

大東京は、日本の中心だし、活力の源泉でもあるが、同時に矛盾の集積所でもある。

 

このズレという点では、国政レベルのほうが、もっとひどい。

先日までの国会の様子は、私には「機能不全」状態に見えた。特に政権を担っている側の態度や答弁には、強い不信感を抱いたのは、私だけではないだろう。

私は、各省の官僚と言われる方々に対しては、正直なところ、お気の毒だと思っている。特に文科省に同情している。

数日前、「不安な個人、立ちすくむ国家」「若者が活躍できない社会」という言葉を目にして、メモしておいた。

 

日本の抱える問題は、深くて暗い。

今日も街頭に立つ候補者の人たちは、2030年、2040年が見えているのだろうか。

今の小学生が、社会人となって活躍する時代のことが。

 

 

 

 

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