はね返す力(レジリエンス)を

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日本標準

一週間たって、こうしてブログを書きだすたびに、ウイルス禍の深刻さは増すばかりだ。

対面でも、手紙でも、メール交歓でも、ウイルス無くして会話が始まらない。

 

これからスタートしていく日本標準の新年度会議は、ほぼオンライン会議に切り替わってしまった。残念。

その中で、例外的対面会議を昨日開いた。東京都会議だ。

広い物流センターのホールを使って、徹底した換気、消毒、ディスタンスとパネル設置等の対策の中で、上着やコート着用での開催だった。

でもやっぱり直接の会議は良い。

こちらからの語りかけに対して反応がわかる。表情や動作の変化、手の動き、そして視線。

その様子を見ながら、これからのオンライン会議のことを考えてしまった。

 

私は冒頭、ホワイトボードに「レジリエンス(はね返す力)」と大書した。

ウイルス禍の今の状況を「耐える」のではなく、「はね返そう」と。

耐えることには限界がある。終結がわからないし、対策も完璧なものは無い。いつのまにか諦めになってしまうことが怖い。

 

昨晩、姉から電話をもらった。「元気にしてるね?」と。

その周りが騒がしかった。たぶん孫達の声だったのだろう。

10歳年上の姉にとって、元気な孫たちが自分の「はね返す力」になっているのだろうと思った。

そして私のレジリエンスの源は、朝のウォーキング、会社でのみんなとの会話、そして毎週のお墓参りかな、と思った。

 

家にこもりがちな子どもたち、感染者を出さないため必死の学校の先生たち、彼らに伝家の宝刀のような「レジリエンス」をプレゼントしたいものだ。

 

 

 

 

 

 

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