障害をものともせず見ている人々を笑顔にする太神楽師の道へ

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日本標準

教師のチカラNo.46(2021年夏号)巻頭インタビュー

障害をものともせず見ている人々を笑顔にする太神楽師の道へ

鏡味仙成 / 太神楽師

鏡味仙成さんは中学3年生から太神楽師としての修業を始めて10年目、最年少太神楽師として寄席の舞台や祭りなどで、賑やかな口上とともに曲芸や獅子舞を披露します。見る人々を幸せにする太神楽師を天職と捉え、舞台以外でもネットやメディアなどを通じて、その魅力を幅広く伝えようとしています。

仙成さんの闊かっ達たつな様子からは思いもよりませんが、彼は小学校入学時から読み書きが困難な「失読症」で、成績表は1と2ばかり、勉強が大嫌いな子どもでした。彼が先生たちに望むことは「勉強のスピードが遅い子は少しだけ待ってあげること」と、「点数評価だけでなく、考えやアイデアを褒めてあげること」。障害を乗り越え、夢を仕事にした彼の言葉に耳を傾けてみましょう。

  

中学2年生で太神楽師をめざす

 両親が寄席を好きでしたので、小さな頃からよく連れられて行っていました。落語は子どもには難しいところがあり、漫才や曲芸、マジック、紙切りなど「色物」といわれる演芸が好きでした。落語で寝ていた観客が太神楽への拍手喝采で目が覚めるのを見て、小学生の頃には「こういう仕事ができたらいいのにな」と思い始めていました。勉強は嫌いでまったくできなかったので、高校進学は考えていませんでした。中学2年生の冬には太神楽師になろうという気持ちが次第に固まっていきました。両親に話すと、「とりあえずやってみて、だめならまた考えればいいよ」と、背中を押してくれました。

 太神楽曲芸協会のウェブサイトを見て、父に頼み「太神楽の道に進みたい」というメールを協会に送ってもらいました。協会会長の鏡味仙三郎師匠にお会いすることになり、中学3年生になった4月、両親と共に面談に出かけました。師匠に「芸を覚えるには若い方がいいよ。私が1年間稽古をつけてあげよう」と言っていただきました。この時、師匠から「太神楽師では食べていけないよ」という話しもあったのですが、師匠のかっぷくがよかったので、大丈夫そうだと楽観的に考えることにしました。

 師匠から曲芸に使う「撥」3本と「五階茶碗(バランス芸に使う茶碗)」1組みを渡され、1カ月後までに撥3本を交互に投げて取るという課題が出ました。投げて受け取るだけと言われても、どうしたらいいのか途方に暮れ、師匠には内緒で地元のジャグリング教室に通ってコツを教えてもらい、何とか課題をクリアしました。それから約1年間、課題を1カ月間自主練習して、師匠の稽古場で成果を見ていただき、次の課題に取り組むという流れを繰り返しました。

 中学を卒業した1年後、日本芸術文化振興会が主催する「伝統芸能伝承者養成事業」の太神楽研修コース第7期に編入させていただくことになりました。

 この研修の応募規程は中学卒業以上で、僕が中学3年生になった年に実施された第7期を最後に、募集が終了していました。3人の研修生が3年の研修期間のうち1年間先行しているところに聴講生として入れていただきました。5人の講師が担当する1コマ80分の基礎技芸の授業で、「バランス芸」や「投げ物芸」などの指導を受けました。このほかに日本舞踊、横笛、長唄、三味線、太鼓などの所作や基礎知識を学び、「獅子舞」と「鳴り物」を一通り身につけました。技を一つひとつマスターして進んでいく過程が自分には合っているようで、この仕事が天職だと実感しました。

 研修修了後、鏡味仙三郎師匠に入門、社中で仙成という芸名をいただきました。さらにその後、関わりの深い落語協会で1年間の前座修業に取り組み、太神楽師としての活動を開始しました。

 鞠一つを撥で自在に操る「一つ鞠」という演目には太神楽の技の要素が詰まっています。18歳で師匠から教えていただきましたが、6年間できないままになっていました。最近久しぶりに稽古してみたところ、以前より完成に近づいていました。これからも完璧な技をイメージしながら、鍛錬を積んでいきたいと思っています。太神楽の稽古をしていると、たまたま技ができることがあって、その瞬間をたとえると、初めて自転車に乗れたときのような、ふっと体が軽くなるような感覚です。できなくて諦めれば、成長はそこで止まります。

 

太神楽の芸は見ている人々を幸せにする

 太神楽の口上を聞き、芸を見ると誰もが笑顔になります。少なくとも悲しい気分になる人はいないはずです。師匠からは「獅子舞を奉る神様は人々の喜びを自らの幸せとされている」と教えられました。その神様に獅子舞を奉納する際に、さらに喜んでいただこうと始まったのが曲芸ですから、太神楽には幸せを皆で共有しようとする気持ちが込められているようです。

 寄席は落語を見にこられる場ですから、太神楽などの「色物」は落語のじゃまにならないよう脇役として盛り上げる役割を担っています。そうした本来の役割を務める一方で、協会や師匠方のご理解のもと、仲間とYouTubeチャンネルを立ち上げるなど、寄席の楽しさをアピールする場を設けています。さらに、個人がタレント化するということではなく、機会を見つけてメディアにも出演させていただき、太神楽界全体の知名度を上げる、盛り立てる方法も模索しています。

 また、海外公演は世界の人々が太神楽の魅力に直接ふれていただける絶好の機会です。2017年には文化庁のタイ公演に参加しましたが、外国人の反応は日本人よりストレートでした。2020年の12月にスペインとオーストラリアでの海外公演が決まっていましたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響でキャンセルに。太神楽の芸はパントマイムではないので、動きに併せて言葉でも面白みを表現します。海外でさらに大きな評価を得るためには、外国語をマスターする必要性を感じています。

 2021年の1月、心から尊敬して師事してきた鏡味仙三郎師匠が亡くなりました。師匠は僕の本質を理解してくれた優しい方で、感謝しかありません。今後は幸いにも鏡味勇二郎師匠に稽古をつけていただけることになりました。コロナ禍で寄席の舞台がなくなったり、行事に呼ばれることが少なくなったりして収入は激減しましたが、お金が目的で仕事をしているわけではありませんし、地道に技を磨いています。これまでに太神楽師で人間国宝(重要無形文化財保持者)に認定された人はいません。僕は若輩者で芸も未熟ですが、人間国宝をめざすと宣言しています。学校の成績が最低だった僕がそうすることで、困難を抱えた人たちの道標になれるかもしれないと考えています。

 

読み書きが苦手、成績は最低評価だった

 小学校1年生の入学時から国語の音読がうまくできず、家で音読の宿題をしていても、思うようにいかずに泣いていることがありました。2年生になった頃からは親に宿題をがんばりなさいと言われなくなりました。僕が文字や文章を読んで内容を理解するのが困難な「失読症」だと、親が気づいたからでした。ハリウッド俳優などに同じような症状の人がいることを知り、「読み書きができなくても生きていける」と、僕の教育や将来についての方針を転換したようでした。

 それからも学校では、国語の教科書を書いてある通りに読むことはできませんでしたし、算数の問題の内容を十分に理解できませんでした。読んでいる箇所を1行1行蛍光ペンで記したり、定規で指したりしながら読むなど、自分なりの訓練をしました。いちばん効果があったのは、文章中の自分がわかりやすい位置に句読点を追加して、一文を短く区切って読む方法でした。こうした訓練の結果もあって、マンガやライトノベルは時間をかければ読めるようになりました。しかし、今でも電車の到着駅や師匠の名前が読めなかったり、住所が正しく書けなかったり、昨日書けた漢字が今日書けないこともあります。

 小学校に僕の状態をまったく理解してくれない先生が一人いました。先生に「なぜわからないのかな。ほかの子ができるのだから、君もできるでしょ」と言われて、「わからないものはわからない。僕はできないことはやらない」と言い争いになったことがありました。後年、太神楽師として活動を始めたとき、この先生が寄席に来てくれて、「見に来たよ」と声を掛けてくれました。この先生が僕のことを嫌いだったわけではないことや、むしろ気にかけていてくれたことが、長い時間をかけてようやくわかったような気がしました。

 小中学校でこの先生以外は僕に対して無関心な先生がほとんどでしたが、中学3年生の英語の先生だけは違っていました。僕ができないときは、昼休みなどに空き教室で課題が理解できるまで指導してくれました。できないままでほうっておかれないことがうれしかったです。海外公演の際には、この先生のもとでもう少し英語を勉強しておけばよかったなと思いました。

 中学校のクラスには成績のよくない僕を「バカキャラ」として扱う友達もいましたが、これをいじめだとは考えないようにしていました。僕には自分の好きな道を一歩ずつ前に進んでいける自信がありましたし、いつかは彼らに勝てると思っていたからです。

 

勉強の理解が遅い子は少し待ってあげてください

 学校で子どもたちを教えるという立派な仕事をしておられる先生方に、成績が良くなかった僕からお願いしたいことがあります。

 ほかの子どもより勉強を理解するのが遅い子どもがいたら、少しだけ待ってあげてください。理解のスピードがほかの子と少しだけ違うと解釈して、放課後など授業とは別の時間や場で教えてあげてほしいです。そして、テストで何点をとったというだけでなく、点数にならないところを評価してください。勉強ができなくても、その子の考えたことやアイデアを評価につなげて、褒めてあげてほしいです。

 僕自身は親の教育方針もあって、勉強ができなくて悩んだことは一度もありませんでした。先生方にももう少し余裕をもって子どもたちを見守ってもらいたいです。

 

  

井出上獏

鏡味 仙成(かがみ せんなり)

1996年埼玉県出身。2012年第7期国立太神楽研修聴講生となる。2014年研修修了後、鏡味仙三郎に入門、芸名仙成となる。落語協会にて前座修業開始。2015年前座修業修了、仙三郎社中として活動開始。2017年タイにおける文化庁公演に出演。


子どもを「育てる」教師のチカラNo.46(2021年夏号)

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