放送、出版の 自由と責任について

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日本標準

昨日から降り続いていた雨が、朝方にはやんでいたのでウォーキングはしっかりできた。

明るみ始めた時刻に、コース沿いにある1本の紅梅が美しい。

ニュースでは、今日は北海道地方で猛吹雪とか。

 

先日、電波法に基づく電波停止の可能性についての総務大臣の発言があった。

私は本来、放送内容については、放送事業者による自律的な運営を大事にするべきと考えている。そのためにBPOがあると思う。

そこでは、憲法で保障された言論・表現の自由が確保され、放送者はその内容に対して、社会的に責任を持つ。

視聴者は、その放送内容を、自分の責任で受け取める。

社会の状況について、さまざまな思想や意見の違いがある。当たり前だ。(それが社会だから)

いろんな考え方があるからこそ、選挙で投票もするのだろう。

民主主義とは、多数決を原則とし、同時に少数意見をも尊重すること、というのを小学校のときに学んだ。

今回の場合、電波停止の基準も示さず、その可能性を示唆するというのは、あまりにも危険すぎないか。

 

出版社も同じである。

出版社の創業者は、すべて創業の思想(目的)がある。

その思想・信念を世に問うために創業している。

しかしそれは押しつけではない。読者が反論するも同調するも自由だ。

要は、考えてもらいたいのだ。

教育出版社は、未来を担う子どもたちに、豊かで自由な発想を持ってもらいたいと願って、その材料を提供する役割を持つ。

 

18歳の選挙民に対するいろいろな取り組みが紹介されている。

ただその中で、模擬投票の練習光景はおかしい。

私自身投票所に行って、混乱したり困ったりした覚えは一度も無いし、車いすの投票者にも親切だ。

ただ、選ぶ力は身につけてもらいたいと思う。

それは、考える力であり、まさに明日を切り拓く力だから。

そんなことを考えている日曜日の朝である。

 

 

 

 

 

 

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