文化による「社会包摂」の社会を

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日本標準

5月8日の日曜日。5月連休の最終日だ。

この連休中、こちら関東は比較的天候に恵まれた。

うちの場合は特別なことは一切なく、淡々と休日を過ごしただけだが、車いすを押しての散歩は毎日実行した。妻にとって、休日のいちばんの楽しみだからだ。

とにかく新緑が美しい。道端の花がかわいい。そしてお決まりの散歩コースの最後に、小さな和菓子屋さんに寄って、うぐいすもちと桜もちを買う。・・・こうして連休最終日だ。

 

一方では、4月14日から24日経った九州のことが気になってならない。明日から学校再開だからと、避難している人の移動の様子が報道されていた。また生業を絶たれ、生きる見通しが立たないとも。・・・東日本大震災と同じ状況になってきた。

 

話は変わるが、

「下り坂をそろそろと下る」平田オリザ著 講談社 を読んでいる。

藻谷浩介著「里山資本主義」の文化版のようなもの、と著者自身が言っているので、イメージしやすいと思う。

冒頭、1行目は「まことに小さな国が、衰退期を迎えようとしている。」

そして日本が受けとめなければいけない、三つの寂しさを示している。

1.日本はもはや工業立国ではない

2.もはやこの国は成長せず、長い後退戦を戦わなければならない

3.日本は、もはやアジア唯一の先進国ではない

労働人口の7割が、サービス業や小売業などの第三次産業に従事している現在、日本が工業生産を中心とした成長社会に戻ることはありえない。

成熟と言えば聞こえはいいけれど、成長の止まった、長く緩やかな衰退の時間に耐えていかなければならないということ。

そんなことを前提にあらゆる政策を見直すならば、様々なことが変わっていくだろうと。

もちろん原発は要らないし、大きな開発も必要ない。オリンピックも本当に必要なのかどうか、と。

そしてオリザ氏は提起する。

「子育て中のお母さんが、昼間に、子どもを保育所に預けて芝居や映画を観に行っても、後ろ指をさされない社会を作ること。」

言い換えれば「文化による社会包摂」という概念である。

経済も大事、待機児童の解消も絶対的急務だ。しかしそれだけでは、非婚化も晩婚化も変わらないし、少子化は解消されない。

序章で、これらの提起をしてから本文が始まるのだが、私は、実に本質を突いた指摘だと思うのだ。

「里山資本論」を読んだ人は、ぜひこの本を!

 

 

 

 

 

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